不動産業界の過酷なノルマに精神を病んだ24歳女性の退職と転職の記録

はじめまして、めるちゃん(@mrmr__6v6)と申します。
愛知県出身、東京都内在住の24歳です。

私立文系卒、新卒でアパレルに入社した後2年で退職。
2社目で精神疾患になり、4ヶ月の早期離職をしました。

転職しようか迷っている方や、精神疾患になってしまった方。
仕事が辛いと感じている方のお力になれたらと思い、今回投稿させていただくことにしました。
最後までお付き合いいただけますと幸いです。

生い立ち

親の離婚と再婚

愛知県の田舎に長女として生まれ、長く一人っ子でした。
しかし、6歳のときに両親が離婚。

父に引き取られた私は、しばらく父と祖父母と4人暮らしでした。
10歳のとき、父が再婚。
いわゆるデキ婚だったため、結婚してすぐ腹違いの妹が生まれました。

妹の世話に追われる両親は、私の世話まできちんと見る余裕はなかったんだと思います。
まして、義母にとっては初産・初子育てです。
そのため、親に迷惑をかけまいと、無意識に気を張った生活をしていました。

両親に気を使い、悩みを打ち明けられなかった

学校では、地味で目立たない、悪さもしない生徒。
友達も数人いるし、成績も可もなく不可もないというな、本当に平凡な生徒でした。

ただ、小学5年生頃に一部の生徒から嫌がらせを受けるようになり、学校に行くのが鬱だった時期があります。
そんなときでも、親には弱音を漏らさず、嫌がらせの事実を悟られたくないと、隠すのに必死でした。

親は妹の世話で忙しい。
だから、私が話す時間なんか無い。
そう思い込み、中学に上がる頃には自分の部屋から必要以上に出ない、という生活に変わっていきました。

親との関係性は、決して悪くはなかったです。
むしろ、義母に関しては自分の娘と変わらない態度で接してくれていました。

それは今も変わらず、です。
ですが、周りの事を極端に気にする性格だったことから、忙しそうにしている親を気にして、必要最低限のことだけを話す生活だったかなと思います。
そんな生活を送っためるちゃんですが、そのまま何事もなく地元の私立大学へ進学し、そして就活を始めました。

アパレル業界で社会人生活をスタート

私は大学の専攻とは全く関係ない分野で就活していました。
昔から洋服やオシャレに興味のあった私は、アパレル業界に入りたい!と考えるようになり、実際に大学時代はアパレルでバイトをしていました。

その経験から、新卒の時はアパレル業界に絞って就活していました。
そして第一志望御社に内定が出たので、何の挫折もなくすんなりアパレルに入社したのです。

給与が低く、転職を考え始める

転職を考え始めたのは、社会人1年目の終わり頃。
仕事内容は問題なく人間関係も良好でした。

しかし、あまりの給与の低さに、「さすがにこれじゃまずいのでは」と思い始めていました。
アパレル時代の手取りは15万いかないくらいで、賞与は2万程度。
1年目は実家暮らしだったので生きていけましたが、奨学金の返済も抱えているので貯金もまともに出来ませんでした。

2年目になるタイミングで、遠距離恋愛していた彼氏と
同棲しよう!
という話になり、彼が住む東京に異動してきました。

それに伴い、ますますお金の重要度が上がったため、本格的に転職を考え始めました。
そして2020年の末頃から、エージェントに頼りながら転職活動を始めました。

当時はなんとなく、販売経験が活かせそうという理由だけで営業職を目指し、 結果的に業界などは選ばず妥協して不動産の会社に入社しました。
しかしここから、私の人生が大きく変わり始めたのです。

2社目入社から精神疾患罹患まで

不動産なんて全く興味なかったのですが、

・給与の良さと土日休みであること
・新規の飛び込み営業がないこと

などから、入社を決めた私。
ですが、転職して2ヶ月目の終わり頃から、徐々に精神は蝕まれていきました。

不動産の営業ノルマに精神を病む

確かに、聞いていた通り新規の飛び込みはなかったですし、人間関係も決して悪くはありませんでした。
しかし、営業職であるがゆえにノルマに追われ、さらに同期が営業適性のある人だったため差がどんどん開いていったのです。

不動産に転職したのは2021年の4月でしたが、同年6月頃には限界が近づいていました。
それでもなんとか、周りの人に支えられながらギリギリの崖っぷちを歩いていたのです。

そして7月中旬、仕事に行く途中の電車で突然泣き出してしまいました。
何か悲しいわけでもなく、怒られているわけでもないのに、涙が止まらなくなったのです。

それでも仕事には行かなければと、なんとか会社のあるビルに着いたのですが、それでも泣き止めませんでした。
その為、トイレに籠って落ち着かせた後、デスクに戻ったのですがPCが打てません。
手が異常に震えてしまって、まともにPCを触れなかったのです。

いよいよやばいと自覚しはじめましたが、それでもまだいける、大丈夫とやせ我慢を続けてしまっていました。
周りから見たら明らかにおかしいのに、自分だけ

「これは自分が甘えてるだけだ」
「弱いせいだ」

と思い込んでいました。

これが精神疾患の怖いところだと思います。
少しでも‘’いつもの自分‘’と違うと思ったら、無理せずしっかり休むことが大切です。

これを読んでくださっている皆さんは、くれぐれもご注意ください。

適応障害の診断と退職まで

そしてついに7月末ごろ、突然ベッドから起き上がれなくなりました。
目は覚めるのですが、どうしても会社に行きたくないと思ってしまい、その日は会社を休みました。

しかし、1日だけ休んだところでなんの変わりもありません。
また明日も仕事なんだよな…と絶望していた私でしたが、 彼氏が

「多分病院行った方がいいよ。様子おかしいもん」

と言ってくれ、やっと私も異変に気づいて受診。

結果、適応障害でした。
1ヶ月の休職診断書を出していただき、それを会社に提出。

最終的には、雇用期間の関係で休職ではなくそのまま退職という流れになったので、8月頭に退職しました。
こうして、わずか4ヶ月という短さで、2社目を退職してしまったのです。

2ヶ月半の転職活動で内定獲得

その後無職になった私は、同棲中の彼に支えられながら2ヶ月半必死に転職活動をし、なんとか新しい会社に内定をいただくことができました。

今回の転職活動では、前回のことも踏まえて一切の妥協をせず、 少しでも「違うな」と感じたら辞退するなど、自衛を万全に行なうことによって、病気の再発を防ぐ事を最優先としました。
その為前回以上に苦戦を強いられました。

が、目先のことに囚われて、本来の目的である
「精神疾患を再発せず、長く働ける会社を見つけること」
を見失ってはいけないと、決して妥協しませんでした。

転職活動中は、短期離職のことを幾度となく突っ込まれ、それが原因で祈られたこともきっとあるんだろうなと思っています。
知らないけど。(笑)

今はやりたかった仕事内容の仕事に就けたので、毎日平和に働いています。

読者の皆様へのメッセージ

今回の経験から、〝精神疾患は誰でもなり得る身近な病気だ〟ということ、 そして〝短期離職していても雇ってくれる会社はある〟ということを学びました。

正直、短期離職への風当たりはまだまだ強く、経歴が物を言う世の中であるとは感じています。
しかしながら、そのような会社ばかりではなく、きちんと人柄を評価してくれる会社も少なからず存在するのだと、今回の経験から学びました。

ただそのような会社に出会えるのかは運も影響すると思います。
内定が出ずに焦っている方、自己嫌悪に陥っている方は、あまり深く気にしないで欲しいなと心から思います。

あなたが悪いわけではなく、あなたのことを会社がまだ見つけていないだけなのです。
これを読んでくださった皆様が、心から笑える日が再び来ますように。
無理せずほどほどに、ご自身のペースでゆっくり進んでいきましょう。


執筆者:めるちゃん(@mrmr__6v6

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