お局のいじめで病んだ新卒大手銀行員の退職とその後

はじめまして。冴えない5年目(@utu_kokuhuku18)と申します。

神奈川県内一人暮らし、27歳独身男性です。
大卒で都市銀行に新卒就職しましたが、1年で退職し、今は専門メディアの記者兼広告営業マンとして生活しています。

銀行で働くことに息苦しさを感じている方へ、「銀行辞めてもやっていけるよ」ということを知っていただければと思います。

>>あなたも退職図鑑(このサイト)に経験談を投稿しませんか?

学生時代と就職活動

まず、私の簡単な生い立ちから紹介しましょう。

小学校、中学校、高校と全て神奈川県内で、小中は公立、高校は私立に通いました。
小1から高3まで軟式野球を続け、男女関係なくそれなりに友達もいる普通の学生でした。

強いて言えば、自慢できるのは日本史と数学は人並み以上にできたくらいでしょうか。
この通り、学生時代は鬱とは程遠い生活でした。
というか、鬱なんて自分と関係ないと思っていたくらいですから。
人生、何が起きるかわからないものです。

大学は都内私立大学の法学部に通い、大学の部活動を取材する課外活動を行っていました。
その頃はマスコミに興味もなく、スポーツ好きだったので試合現場に行ってみたいとい う軽い気持ちで入ったくらい。
厳しくも楽しく活動を行い、4年間の思い出は今でも宝物 です。

新卒就活では金融業界を志望し内定3社

就職活動では大学で学んだ経済知識、法知識を生かせる会社に行こうと思い銀行、保険会社を受けました。
20社くらい受けて、内定が出たのは3社。
都市銀行、地方銀行、損害保険会社でしたが、一番規模の大きな都市銀行に進むことにしました。

銀行に入って苦労した「社内関係」

2017年4月、都市銀行に入行し1か月ほどの研修を終え、いざ配属先(支店)へ。

場所は言えないですが、小さな市の支店でした。
私は法人渉外担当でしたが、なんせ課長、副課長、先輩、私しかいない小さな支店です。
初日から仕事を任されてバタバタするほど、人手が足りない支店でした。

そんな中で、違和感を覚えた小さな「事件」がありました。
赴任して間もないある日、事務ミスをした女性行員を支店長が呼び、何故事務ミスが起きたかを問い詰めていました。
すると、その女性がキレて他の女性行員を連れて猛抗議したのです。

配属先にはお局が存在していた

ちなみに、この時午後1時。
当然、支店が開いているときです。
あまりに大きな声でキレたので、お客さんがじーーっと店内を見ていたのを今でも覚えています。

紹介が遅れました。
この女性が、支店の癌にして私の鬱の原因となった独身お局(当時34歳)です。

入行以来、この支店で働き続ける一般行員で、融資事務、住宅ローン業務を行っていました。
ただ仕事ができるかと言うと話は別で、住宅ローンは全然稼げていないし、融資事務も気分でやったりやらなかったりと、とてもじゃないですが社会人として失格 のような人でした。

この人が何故、支店でお局と化していたか。
それは、支店の継続年数がダントツ1位だったからです。

銀行って不思議なところで、支店長、課長がいようが、継続年数の長いお局行員の方が支店内のヒエラルキーが上なのです。

新しい上司が気に食わないと、

・鍵のありかやさまざまなパスワードを教えてくれない
・事務を手伝わない

など地味な嫌がらせをしてくるのです。

それにより、営業マンもお好みは助けますがそうでないと全く助けない、なんてことが平然と行われ、それを注意できる人が誰もいない状態でした。
そして、私もこの人に目を付けられてしまったのです。

成績優秀社員もいじめるお局

この女性は、
自分より優秀だと勝手に思うと邪魔する、いじめる癖があったのだと思います。

事実、嫌われている社員はみな、営業成績が優秀でした。
上半期表彰を受けた人もいたくらいです。
男女は関係なく、とにかく自分より優秀な人が許せない、そんな印象を受けました。

私の転機は8月でした。
銀行は4~9月、10~翌3月の上下半期で成績を見ます。
ですので8月は上半期の足りない項目を詰め、改善策を出し、追い込みをかける時期。

その年は、住宅ローンとクレジットカードが全然獲得できておらず、目標に対して10%、25%と悲 惨な状況でした。
当然、支店長は住宅ローン担当のお局を問い詰めます。

でも言い訳しかせずパソコンスキルもダメなお局。
「時間ないんですぅ」しか言わないお局に呆れ、私に白羽の矢が立ちました。

「冴えない、お前明日からお局に変わって住宅ローン取ってこい。 2か月であいつを越えろ」

いきなりのことでアタフタしながら、支店、本部、同期など、あらゆる人に住宅ローンの 仕組みを聞き、自分なりに住宅ローン借り換え、新築、大規模修繕などローンにつながる 案件をローラー営業しました。

毎日怒られてばかりで辛い日々でしたが、お盆明けから案件を増やし、9月末には1人で営業、事務作業、本部報告まで行っていました。

そして、前期末には支店の90%まで到達することが出来たのです。
前期末、支店長から

「10%足りないんだけど。これは後期で回収できるよな?」

と声をかけてもらいました。
支店内ではそれなりに褒められ、銀行で働くイメージがつきました。

10月。
徐々に担当先を持ち、アタフタする日々。
その中で当然、事務まで1人で回すのが困難になってきました。

そこでお局含め、一般行員さんに事務作業をお願いすることが増えてきました。
しかし、お局に任せた、彼女担当の仕事だけやってくれないことが増えました。

戻ってきた資料は何もされておらず、白紙の紙を渡され原本すらなくなっていたこともありました。
要は一からの作り直しです。

挙句の果てには「優秀なら自分でやりましょうね」と嫌味たらしく言う始末でした。
また、取引先と電話している最中に支店内の電話が鳴った際、お局が「お前早く出ろよ」と言ってきたこともありました。

咄嗟に首を横に振ったのですが、その日の事務はミスだけ付箋を付けて何もしてくれませんでした。

他の社員も巻き込んでのいじめに発展

こうして、増える案件と事務で徐々に疲弊していきました。
残業も増え、資格勉強に追われる日々。

また新人なのでクリスマス会、忘年会の準備を行い、調整もしていました。
行員1人1人に希望を聞くのですが、お局や仲のいい行員(=使えない行員)は回答せず期限が来てしまいました。

結局、回答者の声だけで開催しましたが、その翌日、回答しなかったやつらは
「先輩を無視したダメ行員」
と、直接罵倒してきました。

場所は、トイレや休憩室。
お局だけでなく、他のダメダメな社員にも追いつめられるようになったのです。
集団によるいじめでした。

これは経験した人しかわからないと思いますが、よく

「無視すればいいじゃないか」
「自信を持て」

と言われます。

しかし、当時の私は先輩に嫌われ仕事の邪魔をされ、常にひそひそ話で嫌がらせされており、常に足が震えている状態でした。
心の余裕はなくなっており、小さな音や声でもビクッとするうつ病の一歩手前だったのです。

心身が限界を迎え、退職へ

こうして12月末まで何とか働いたのですが、もう心身ともに限界でした。
体重は半年で9kg近く落ち、朝ご飯だけ食べて夜はビールだけ飲む日々。

寝られず日本酒を一気飲みしたこともあります。
それでも寝られず完徹状態で朝を迎えることも増えていました。

この精神状態の時にはもう、退職する意思を固めていました。

「このままじゃ死ぬ」

10月に転職サイトに登録し、事務や学生時代の記者経験を生かせないかと考え、片っ端から検索、応募しました。

そこで偶然、現職に出会い応募。
銀行経験、学生時代の経験が買われ、11月の初面接から1か月の12月、内定が出ました。
面接経験は3社ですが、記者職の現職だけが2次面接まで進みました。

社長に聞いたら、「ESの文を見た時点で、即戦力だと思った」と言われましたので、学生時代の4年は無駄ではなかったようです。
こうして転職活動を終え、退職の意思を固めたのが12月末。

「1月、退職の挨拶をしよう」
そう思い、年内の仕事を納めました。
この時はもう、全部自分で事務作業をしていました。
辞めるとき、他の社員が「あそこまで1人でやっていたのか」と言うレベルだったそうです。

うつ病の診断

2018年1月4日。
朝、体を起こそうと思ったら、金縛りにあったかの如く体が動かないのです。

頭は「会社へ行かなきゃ」と思うのに、体はピクリともしない。
自然と涙があふれてきました。

当時は実家通いだったのですが、異変を感じた母が飛んできました。
会社に何とか休む旨の電話をし、その日のうちに母が精神科を予約してくれました。

1週間後、下された診断は「うつ病」。
3か月の休職が妥当とのことでした。

同時に私は退職を決意し、翌日会社に退職する旨を伝えました。
支店長は一言、「あのお局のせいか」と言いました。

悔しくて申し訳なくて涙が止まりませんでしたが、嗚咽しながら「はい」と答えました。
支店長は「わかった、何とかする」と言い、電話は切れました。

こうして3月末、新卒で入った銀行を退職しました。
支店の同期に後々聞いたら、お局は支店長にかなり詰められていたようでした。
本人は白を切っていたみたいです。
最後まで嫌な女でした。

新卒SEを11ヶ月で退職。ストレスと体調不良に苦しんだ私からのメッセージ。

2021年11月30日

転職してから「銀行にいてよかった」

転職後は、専門媒体メディアとして取材、デジタル広告営業も行っています。
会社の規模は銀行と比較すると小さいですが、裁量も大きく、目標もそこまで大きくないです。

社員も嫌な奴は全然おらず、お局みたいな人は皆無。
世の中捨てたものじゃないですね。

ただ、転職してから銀行に感謝することもあります。
逆算志向、情報秘匿の絶対、数字への追い込み意識、経営知識。
これらは、銀行の経験がなければ得られませんでした。

鬱で辞めましたが、社会人としての基礎を銀行で叩き込まれたのは本当に良かったと自信を持 って言えます。

記者をやっていると、経営者を取材する機会も多いです。
その時、「君は元金融系の営業マンだよね?」と聞かれる機会があります。

「はい、銀行で融資やっていました、1年足らずですが笑」 と回答すると、 「だろうな、銀行員みたいな話し方している、取材というより銀行の人と話している感じだもん」 と笑われます。

今だに銀行員っぽいというのはわかりませんが、初めて会った人ともそつなく話せるのは、銀行員時代の新規アポの経験が 生きているからです。

最後に

長々と書きましたが、うつ病になって1年で辞めましたが今でもこうして働いています。
自分に合う職業は新卒ではわかりませんが、もし病んだら自分の学生時代の経験、得意なことを1度思い出してみるのがいいのかなと思います。

合わない職業を続けて心身ともにボロボロになるのは、自分のためになりません。
「新卒で入った会社がダメなら、私社会人失格かも」と思ったとしたら、それは間違いです。

私のフォロワーでも、転職してから活躍しているうつ病の人、新たな働き方で元気になった 方もいます。

また、病んでいる時は誰にも相談せずつぶれてしまいました。
どんな状況であれ、相談できる人、環境を作ってください。

オン、オフライン構わず作って、逃げ道を設けましょう。

これが私の経験から皆さんに伝えられることです。
ありがとうございました。


投稿者:冴えない5年目(@utu_kokuhuku18)さん


>>あなたも退職図鑑(このサイト)に経験談を投稿しませんか?

SNSシェアお願いします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA