退職数3社(勤続年数4年⇒3年⇒4ヶ月)の31歳男性が平和な職場にたどり着くまでの記録

今回は退職数3社の31歳男性、にげお(@h_aratasu)さんにお話を伺いました。

にげおさんの経歴
・現在31歳の男性

・3社の退職経験あり

・勤務期間は4年⇒3年⇒4ヶ月

・3社目は退職代行を使って退職

・500社に応募した経験あり

新卒時代からパワハラ環境に耐え、退職代行の利用経験もある彼のお話は、 今現在社会で苦しんでいる方にとって、とても有益なものでした。

※退職図鑑の編集長・さいーぜ(@saiiize)がインタビューを行い、それを記事にまとめたものです。

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【生い立ち】中学受験で進学校へ時代から浪人、大学生活まで

—まず生い立ちをお聞きしたいのですが、子供時代はどんな感じでした?

小学生の時はめちゃくちゃ頭が悪くて、全然勉強が出来ませんでした。
それを見かねた父親によって小4の時に塾に入れられました。
日能研という塾なんですけど。

その流れで中学受験をして、中高一貫校に合格しました。
進学校に入ったは良かったんですが、その学校で落ちこぼれてしまってしまって。
周りはやっぱり頭が良くて、最終的に名だたる学校や企業に入っていきました。
都内のSという場所にある学校なんですけど。

ちなみに中高は男子校でした。
中学に入ってバスケットボールを始めたんですが、高校はスポーツ推薦組が多いので、部活には入りませんでした。
高1から高2に上がれない人が10人くらいいて、留年しないように勉強したかったというのも理由です。

性格は、全体的に皆と仲良くしゃべるという感じです。
ヤンキーやオタクなど、満遍なく交流していました。
あとは凄く目立ちたがりだったと思います。
文化祭で、女装したり。
そんな目立ちかたをしていました。

そこから大学受験なんですけど、 大学受験は結局浪人したんですね。
僕はそういう価値観じゃないんですけど、 周りは
「早稲田慶応くらいじゃないと大学じゃない」
という感じの人もいて。
僕も触発されて、そういう学校を目指していたんですけど、結局ダメでした。

浪人中は、予備校の地元の友達と仲良く喋ってなあなあな生活を送っていましたね。
勉強時間は長くて、10時間とか12時間とかやっていましたね。
予備校ある日はあまり寝なかったですね。

僕はあまり要領が良いほうではなくて。
英語だったら単語完璧だけど文法よくわからん、みたいな笑
あとは、世界史選択だったんですけど、教科書めっちゃ覚えたんだけど問題は解けません、みたいな。
勉強時間は長いけど、頭にあまり定着せず、、。

結局は大学は滑り止めといった感じでした。
父親がエリートな感じで、 マーチレベルを求められていたんですけど、結局そのワンランク下くらいの大学に入りました。
ちなみに文系で、法学部に進学させてもらいました。

大学は大卒資格を取るための場所、くらいの認識でした。
大学では、演劇を真剣にやっていまして。
二年生の1年間はほとんど大学に通わず演劇をやっていて、将来的に脚本家になろうかなとも考えていました。

二年生終わった頃に、当時お付き合いしていた方に「脚本家になるなら結婚出来ない」といわれ、 「じゃあ就職します」という風になりました。
そっから単位取得とかもガチガチに頑張って免許も取って就活が始まったという感じですね。

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新卒で大手コンビニチェーンへ入社。自爆営業の闇を知る

—新卒就活はどうでしたか。

結論から言うと、就活では希望のところにはいけませんでした。
元々僕は演劇をやっていた流れでウエディングプランナーを目指していたんです。
ですが、結局ウエディングプランナーはダメで、結果としてXXXXXXXX(某大手コンビニチェーン)というところに入社したんです。

その他にも4社くらい内定を頂いていたのですが、B2Cがやりたかったので、XXXXXXXX(某大手コンビニチェーン)を選びました。
ちなみに、眼鏡の会社とか寝具の会社とかホテルの会社に内定を貰いました。


—1社目はどうでしたか?


1社目はキツかったけど学ぶところも多かったです。
XXXXXXXX(某大手コンビニチェーン)は、いわゆるブラックな会社なんですね。
ブラックなんですけど、新卒一年目で入ったら何も分からないので、

「社会ってこんなもんなのかなあ」

と思いました。

私が今のように社畜っぽい考えになったのは、ここがそんな感じの社風だったからですね。
拘束時間は長く、GWも夏休みも冬休みも無かったですね。
最初店舗に配属されるんですけど、夜中にも電話かかってきました。
お店のアルバイトさんとか他の社員から夜中でも「こういうことがあったんですけど、どうしたらいいですか」みたいな電話が来て。

後は数字に凄く厳しい会社でした。
前年比を割ることを許さない会社なので。
皆追い込まれて自爆営業と呼ばれるものをほぼほぼ9割くらいの人がやっていました。

会社が買えっていったことは一度もないんです。
ただ、数字目標が厳しくて詰め方が激しいので買ったほうが楽になれるんですよね。
よく恵方巻き、お中元お歳暮クリスマスケーキ、年賀はがきとかを買っていました。
後は賞味期限が切れた廃棄のものを買う、ということをやっていました。


—闇が深いですね。


そうですね。
そのコンビニ以外のものを食べるなんて考えられないような状態でした。
毎年10万とかそれに使ってましたし。
人によってはボーナス全部使って自爆営業のおせち買ったって人もいましたし。
会社が明示的に命令するわけではないので、詰められに耐えられればそれで良いんですけど。
大半の人間は耐えられずに自爆営業をやってましたね。
一回やっちゃうとそれが楽になってしまっていました。

詰められで言うと、(自分が)副店長の時に店長に詰められました。
皆が詰めるタイプではないんですが、詰めるタイプの人の方が出世する会社でした。
どの会社もそういうところがありますが、上司ってちょっとおかしいというか、 人の気持ちが分からない人の方が上に行きやすい、みたいな。
私はやられたことはないですが、殴る蹴るとかもあったようで。

店によっては(誰かが詰められた後で)机がボコボコになっていたり、、。
殺すとか死ねとか辞めちまえとか言われることはそれなりにありました。

気付けば3ヶ月で鬱になっていた

—やめようと思った経緯は?

入社3ヶ月くらいで、鬱になっちゃったんです。
鬱になって、社会復帰早くしなきゃ不安だったので、無理やり復帰して。
休んだ期間が3ヶ月半くらいですね。

体調の良い悪いを繰り返しながらやっていたんですが、 店長になった時に副店長と上手く行かなくなって。
副店長が定時で帰っている一方、私は終電まで仕事してたり……。
従業員のおばちゃんにも好かれてませんでした。
一人だけ頑張っている状態で、人も全然足りず苦しくなって 「辞めたい」と相談したんですね。

すると上司から、左遷の提案をされました。
元々東京の赤坂見附で働いてたんですけど、「それじゃあ九州の博多に行け」と。
店舗業務ではなく、お店を立ち上げる左遷部署と呼ばれるところに飛ばされることになって。
東京に戻ってくることは二度とないだろう、という話を色んな人に聞き、 「じゃあもうこの会社にいてもしょうがねえな」ということで辞めました。

当時、結構貯蓄があったので割と気持ちに余裕はありました。


—うつ病の診断書は出てたんですよね。診断書が出た瞬間って結構ホッとしませんか?


ホッとしましたね。
「やっと休める」みたいな。
当時は、道で

「このままタクシーに轢かれたら、会社行かなくていいし皆心配してくれてラッキーなのになあ」

なんて考えていました。


—あるあるですね笑


会社にはトータルで4年いたことになります。
3ヶ月で鬱になった後は、3年半くらい頑張りました。 そこから半年くらい無職していました。
お金にも余裕があったので、少しダラダラしようかな、と。

70社落ちた後、コネで2社目に入社するも……

2社目は結論からいうとコネで決まりました。

本当は人材系の会社に行きたかったんですが、合計70社くらい落ちて。
父親に「最近仕事やめてどうなんだよ」と心配されまして。
父親の昔の上司が人材紹介の会社に転職していて、それなりに偉い地位にいたんです。

その人に相談したところ、提案された会社に決まりました。
いきなり会社の社長とか偉い人と面談して、本当にコネで決まりました。

事業内容は簡単にいうと自動車部品の加工の会社です。
部署は営業で入ったんですが、営業するにも図面の読み方とかがわからないので、1年半は工場の現場で勉強していました。

元々自動車部品には興味が全然無かったのですが、怒られない用に頑張って覚えていました。
ただ正直ダルくはありましたね。
二社目はトータルで3年勤めていました。 1年半現場にいて、1年半は営業部にいました。


—2社目の幸福度はどうでしたか?


幸福度はゼロでした。
三年間を無駄にしたなと思っています。
全然何も身につかなかったです。

「あなたみたいな新人が大手メーカーの人と話しても相手にされないから、しばらく先輩の姿を見て勉強してください」
ということで先輩に同行してたんですけど、結局ずっと社内にいて社長の車洗ったりだとか、運転手みたいなことをしたりだとか。
工場時代も、一日中見てるだけ、みたいな。

2社目もパワハラが蔓延していた

そしてパワハラを見てみぬふりをする、という社風でした。
無視、嫌がらせといったパワハラがありました。
挨拶を無視される、仕事を回してもらえない、いないものとして扱われる、などです。
部長に嫌われた次の日から仕事が全く回ってこなくなりました。
給与明細を私だけ手渡しされず、他の人から回ってくるということもありました。

—パワハラの相談はしなかったんですか?

色々なところに相談していました。
やられたこととその日付を全部wordにメモして 先輩に相談したんですけど。
「俺じゃどうにもできないわ」で終わりました。

社長に相談しても、「僕から言っておくよ」とは言ってくれたんですけど、 結果としてはパワハラがエスカレートしただけでした。
社長の上の会長に相談しても、改善はありませんでした。

地域の労働ユニオンといった組織にも相談したんですが、
「助けてあげることはできるけれど、匿名性がないので、相談したことは公になりますよ」
と言われました。
労働監督署も大体同じような状況でした。

そこまで行って結果辞めたといった形です。
社長に「辞めます」と言いました。

3社目は四ヶ月で退職代行を使い退職

3社目に行くまでは無職期間がありませんでした。
XXXXXXXという自動車メーカーに就職しました。

自動車に興味はありませんでしたが、前職の経験で何とかなるんじゃないかと。
ここは大企業だったので、勝ち組感というか安心感がありました。

ここは四ヶ月で辞めました。
上司が合わなかったことが原因です。
簡単に言うと放置系上司といった感じです。

—ハンターハンター風に言うと放置系能力者、みたいな?

そうですね笑
新人教育が下手でパワハラ気味の人だったんですが、仕事をちゃんと教えてもらえませんでした。

仕事内容は飛び込み営業で、顧客リストにある企業を一件一件回って、 社長なりなんなりにひたすら営業していく感じでした。
運良く案件がたくさんが取れたのは良かったんですが、見積もりの作り方などがよく分からず。

上司や先輩に協力してもらえず

「なんでお前そんなに遅いんだよ」
「なんでわからないんだよ」

と詰められていました。

相手ありきの仕事なので、それをやらなければいけなかったのですが、 周囲からは
「新人なんだからそんなに仕事もないはず。外回り行ってこい」
という圧をかけられていました。

事務員にも嫌な人がたくさんいました。


—ロクな奴いないですね笑


ロクな奴いないんですよ笑
営業に同行してくれた部長があとで
「あいつこんな感じだったんだよ〜。やばくない?笑」
という感じで皆の前で失態をあげつらったり。

その他にも飯ハラっていうんですかね。
大量のメシを無理やり食べさせられたり。

「もう無理だ」と思って退職代行で辞めたんです。
営業行ってきます、といってそのまま自分の車で帰りましたからね。


—やはりそのくらいやらないとダメですよね笑


車の中で退職代行に連絡して、10分後くらいに辞められました笑
某業者を使ったんですが、3万円もいかないくらいの料金でした。


—退職代行を使った感想はどうですか?

使ってめっちゃ良かったです笑
ガンガン皆使った方が良いと思いました。

次の日から行かなくて良いというのは最高でした。
もうそこから全く会社と接触する必要がなくて。
退職関係の書類もその退職代行経由で処理できました。
有給の交渉も全部してくれました。

「有給取りますか?」
と代行業者に聞かれたので
「全部取らしてください」と返事しました。

「今まで皆取れていたので、確定はできないけど大丈夫だと思います」と言われ、安心しました。
退職代行は本当に皆使った方がいいと思います笑

—確かに、辞める時の圧力で有給が取れない可能性も考えると、 退職代行に頼む方が金銭的に得することもありそうですね笑

ただ、悪質な業者もいるみたいなんで、見極めてやってもらえるといいですね。

退職代行ニコイチ退職代行jobs
料金27,000円27,000円
有給消化サポート
退職実績累計退職人数3万人超(退職成功率100%)退職失敗時は全額返金
参考)退職図鑑推薦の退職代行業者

4社目(現職)で良好な人間関係の職場にたどり着く

—で、次が現在お勤めされている会社ですよね?


この会社は退職代行業者に紹介してもらったんです。
プロパンガスの会社なんですけど、この会社は今3ヶ月目です。

今の所はまあ良いかなと思っていますね。
人間関係的に、そんな変な人いないかな、みたいな。

転職の目的が、「長く勤められる環境のある会社に入る」だったので。
給料は凄く下がったんですが、一旦それは置いといて、長く勤められるという意味では良いのかなと思っています。


—プロパンガスには興味は無かったわけですよね?


全くガスには興味がないですね笑
仕事内容的には、研修期間なので何とも言えないところもあるんですけど、、。
部署によっては難しそうなんですけど、まあ適当にダラダラやってても大丈夫そうかな、と。笑

逆境を逆手に取って面接でアピールした

—面接のコツみたいなものは?


私が使ったのは覚悟のアピールですね。
この年齢でこの転職回数なので、覚悟をアピールしています。

「今31歳で、世界はコロナ禍です。転職回数3回です。 次入った会社すぐ辞めたら、私はもうまずいです。
なので、次のところは本気で長く働けるところにしよう、という覚悟を持って臨んでいます。」
といった感じですね。

—説得力が凄い。

すぐ辞めると思われるのが一番ヤバイので笑
志望動機とかは結構皆迷うと思います。
自分の中の仕事の信念や、経験を活かすとか、そういうことが志望動機に使えるのかなと。 「御社の仕事に対して、僕の経験がこう活かせそう」というのを必ず盛り込んでいます。
会社のHPを見て「理念に共感した」というより、自分の経験を絡ませるのが良いのかな、と。

後は応募数にもこだわっています。
私は500社に応募しました。
ネットでポチポチするだけで応募できるので、休職中は一日10社をノルマにしていました。

年収は度外視して、休日・業務内容・退職金を軸にしてポチポチ応募しまくって面接行きまくって、、。
みたいに何も考えずにとにかく行動しまくりました。

—結構メンタル強いですよね笑


面接はその日一回で終わるので行けるんです。
どちらかと言うと継続が苦手ですね。
その日一日限りだとどうでもいいんです。
メンタルは強くないです。

—私も同じタイプなので分かりみが深いです笑

無職コミュニティを創りたい

—にげおさんのYouTubeを拝見したのですが、無職コミュニティを作ろうという展望があるんですよね?

無職コミュニティは、自分の経験とリンクしたボランティア活動といった感じです。
無職の人は自己肯定感が低いと思うんですね。
かつ、情報が足りていない面があります。

例えば、履歴書や職務経歴書が全部手書きだったり、職の探し方をハロワ以外知らないとか。
失業手当のお金の情報も行き届いていないと思います。
こういった情報共有や、無職の孤独感を解消したいという感じです。

一度退職後に短期ホームレス状態になっていたことがあるんです。
NPOに電話して、シェアハウスに一時期入っていたんですが、色々な手助けを無料でしてくれました。
こういった経験から自分も情報提供や孤独感解消の手助けになるコミュニティを創りたいと思いました。

しかし、まだ私の影響力が低いので、Youtubeの登録者を増やしていかないとなあ、という感じです。

参考リンク) にげおさんのYouTubeチャンネル

—私のメディア(つまりこのサイト)も社会辛い民のメンタルを上げるのが主目的なので、方向性が近いところがあるかもしれませんね笑

社会生活が辛い人への一言

—最後に仕事が辛い人や無職の人に一言アドバイスをお願いします。


心が幸せになる生き方をして欲しい、というのが私のアドバイスです。

「会社に勤めないと幸せじゃない」
「正社員じゃないとだめ」
「年収が高くないとだめ」
とか世間の基準に沿って生きようとしても、結局それはキリがないです。

なので、今自分が幸せだと思える生き方をしたら良いと思います。

僕は一旦給料は度外視して、長く働けそうな会社を選びましたが、 将来的にはこれで幸せになれるんじゃないかなと思います。
幸福度的には、今が歴代会社の中で最高です。

なので、自分の心が幸せになるような、自分に正直な生き方をして欲しいです。


にげおさんのツイッター:@h_aratasu
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UC_oc1cI6OH2GrWubBd6TVeA

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