ハチキ(@musyokudesuga)と申します。
私は2019年に新卒で某食品系の会社に就職をし、そこから2年10か月働き、先日ついに退職いたしました。
そして、気になる現在は、住所不定無職(25)という状況です。
・食品会社に転職を考えている方や興味がある方
・就職を考えている就活生
に読んでいただけたら、ほんの一例にしか過ぎませんが、多少は参考になるかもしれません。
>>あなたも退職図鑑(このサイト)に経験談を投稿しませんか?
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新卒入社後まもなく退職が最大の目標になる
普通、会社に入社したら、
・お客さんに喜んでもらいたい、役に立ちたい
・偉くなりたい
とか思うのが世間一般的だと思いますが、 私は「この会社を辞める」という事が入社して以降最大の目標になっていました。
新卒で入ったのは一部上場の食品関係会社
入社したのは今から約3年前の2019年。
Fラン大学から東証一部上場企業に内定が決まり、就活はまあまあの出来だと感じていました。
一応、漠然と行きたいと思っていた食品関係の会社でそれなりに利益の出ている会社でした。
それに、誰もが知っているあの商品もあの商品もうちの会社の商品だったので、周りからも
「お前にしてはよくやったな」
なんて言われていました。
その会社は海外にも進出していたので、
「ゆくゆくは海外で働いてみるのも面白そうだなあ」
なんて入社前は考えていました。
ただ、そう思ったのも束の間。
たった2週間ほどのどこかぬるっーとした研修が始まりました。
まずは、よくある外部から講師を呼び、名刺交換や電話応対から研修がスタート。
この辺はまだ無難な研修でしたが、そのあとの研修から
「ん、これやっても意味あるのか?」みたいな研修が続きました。
具体的な業務の内容でもなく、会社の商品も特に教えてもらえず、スキルを上げられるような研修では全くありませんでした。
しまいには研修担当の人事の若い女性が若干ヒステリックになっており、「この会社大丈夫か感」がどことなーく存在していました。
とはいえ同期が50人以上集まる研修。
しかも定時で終わるので、毎回同期の男女で飲み歩いていました(このときはまだコロナ前) そしてそのときはまだ知りもしませんでした。
このときが社会人生活のピークであることを。
配属されるも社内ニートが爆誕する
配属された部署は8人程度の小さなグループ。
6人が営業で、2人が事務の構成。
私は営業として配属されました。
初日。
忙しいゴールデンウィーク前だからというのもあったが、完全に私は放置されました。
だーーれもしゃべりかけてくれず(もちろん自分から話しかけられる雰囲気でもない)、必要書類を書き終え、ポツンと椅子に座っていました。
「ちょっとヤベえんじゃね?」とはなんとなく思いましたが、 まあ会社ってこんなもんかと言い聞かせました。
指示を仰ぐも、
「ちょっと待って。」
とか、
「んー何やらせようかね。」
といったような具合。
これが何日経っても続きます。
ここで賢い人なら、気を利かせて何かやったり、自分で仕事を見つけたりできるのでしょうが、 私は指示なしでは動けない脳なし木偶の坊なので、配属初日から社内ニートが爆誕してしまっていました。
退職者の引き継ぎから地獄が始まる
夏前頃、急に歳の近い社員の退職が決まりました(歳が近いと言っても10個くらい上だったので、よく考えると近くもなんともないですが、、)。
上司から特に何の相談もなく、その人の得意先は自分に全部回ってきました。
「○○よろしく。○○(自分の名前)にやってもらうから。」
との言葉が上司から聞こえてきましたが、 その時は自分も
「もちろん先輩たちのサポートありだよな。まさかな……。」
と思っていました。
ちなみに引継ぎは当時の記憶で5日間くらい。
辞めると聞かされてから、退職までのスピードが鬼のように早かったです。
ぬるっと引継ぎを終わらせ、その人はとっとと辞めて海外へ旅立ってしまいました。
こうして地獄が始まります。
ほぼ引継ぎなしで押し付けられた仕事。
もちろん引き継いだ前任者は退職をしているので、細かいことを聞ける人は誰もいません。
しかも、この前任者が曲者でした。
得意先に納品予定の新商品の必要書類にある重大なミスを犯したので、私が謝罪に回ることになります(ちなみに一緒に引き継いだ社員は普通に知らんぷり)。
謝罪の仕方もよくわからないまま適当に「すいません」と対応していました。
そんな私の事情とは関係なく、新商品の発売は迫ってきます。
お盆休みと夏休みといった概念は弊社には存在しませんでしたが、悔しいので1日だけ有給を貰おうともしました。
しかし結局上記の対応でそのお休みも潰れてしまうのでした。
その夜、半泣きでロッテリアに行って死ぬほど ふるポテを食って、休みが終わったのを覚えています。
在庫問題に頭を抱える
あともう一点悩みの種がありました。
それは残された在庫問題です。
当たり前ですが、食品には賞味期限が存在します。
先述の前任者は、製造して得意先にも売れなくなった商品の在庫(とんでもない量)を抱えていました。
その量、何十キロじゃない。何十トン。
これを得意先にどうにか頭を下げて、賞味期限までに売ってもらわなくてはいけないという、ムリゲーのクソゲー状態です。
もう営業でもなんでもない。謝罪。前任者の尻拭い。
得意先には、新しい若造の担当者が、賞味期限間近の商品を急に何十トン売ってくださいとお願いする「クレイジー野郎」としか思われてなかったと思います。
適当にあしらわれて、逃げられ、そうこうしている間に、どんどん既存の商品の使用も他社にとられてしまいました。
結果、売り上げがほとんどないという悪循環です。
どうしていいのかもう分からないんです。
営業ってどうやるの?状態。
ちなみに上司は
「在庫、何とかしてよ。売れないじゃん。あと新商品提案。何もできてないじゃん」
と圧をかけてきます。
ちなみに取引先は全国にあり、商品の物流の手配も全部自分。
それが何商分品もあります。
さらに取引先によってやり方も違います。
在庫の管理も何故か全て営業の担当。
ちなみにうちの部署は特殊で営業なのに新商品の開発だったり、品質管理的問題(アレルギー等)、製造もやります。
この辺も関わらなくてはいけなかったのですが、社会不適合者の新人にこなせる量でもなかったですし、適応できる環境ではなかったです。
段々と社内で孤立していきました。
味方は本当にいなかった。
年齢が近い人もいなくて(全員35歳以上子持ち)相談できる人もおらず、話を聞いてくれる人など誰一人いませんでした。
ある日、食事がのどを通らなくなります。
上司に昼飯に誘われた際、食欲がありませんと正直に言ったら、
「○○、飯食えないってww」
と笑い者にされました。
そんな毎日、自分で何とか軌道修正しようとするも、
笑う事すらできなくなっていってるし、
歩いてるだけで泣きそうになるし、
毎日嗚咽しながら会社に行って吐いてたし、
腹は痛いし、
音楽は耳に入らないというか音楽が聴けない状態になっており
完全にうつ病に近い状態です。
たまーに全然違う部署の人間から、
「おい、新入社員、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
とか
「会社はここだけじゃないんだぞ。ここだけって考えない方がいいぞ」
とか
「お前の部署やばいよな。無理すんな」等いろいろ激励の言葉を頂きました。
全く違う部署の人から。 忘れないです。感謝してます。
それでも何とか意地でずっと会社に行っていました。
3月に辞めよう。
そう決意はしたものの、ちょうどコロナがぶち当たり、退職に踏み切れず1年目が終わっていくのでした。
2年目からは何度も実際に退職を試みる
2年目のこのとき、精神状態がかなりイかれてしまっており、人前で何も話せない状態になっていました。
そしてついに夏頃のプレゼンテーションで大きなトラウマレベルの失敗を犯し、
「あ、これ、無理」
となり、退職に踏み切ろうもしました。
しかし、あえなく止められ、失敗。
一応できないなりに売り上げはキープしており、1人でも欠けると部署的に危機的状況に陥るということは何となくわかっていました。
そのあとも、いきなり工場で夜勤や、休日の工場出勤が入ったりしました。
金曜夜から新幹線でクレーム品回収の旅、日帰りで関東から東北出張に行ったはずが約10日間自宅に戻れず、ずっと工場で作業(しかも自分の案件ではない)等、正直やられ放題でした。
挙げればきりがないほどです。
使えない若手社員はとことんやられます。
食品会社は営業もどんどん工場にぶち込まれます(これはどの業界も同じかな?) このような状況から抜け出すため、退職をゴリ押しし、結局2年目の12月に退職という事で一旦話はまとまります。
しかし結局、最後の最後で役員数人に止められ、 営業→経理へと配置転換、そして異動。
という形で話を収められるのでした。
異動の手当等、社宅の用意などはすべて手配をしてもらいました。
思った以上に大人たちが動いてくれたので、不本意ではあったものの、ほんの数パーセントの期待を込めてこの時は踏みとどまりました。
小さな営業所に異動
異動先はこれまでの全国規模とは違い、小さな地域密着型の営業所でした。
ここは運よく若手の社員がいる恵まれた環境でしたが、経理は謎に激務で会社を出る時間が深夜1時を超えることもしばしば。 (ちなみに出勤は朝7時過ぎ。)
自分は、経理というよりはただパソコンで伝票を発行する人になっていました。
webシステム入力作業のアルバイトという感じでしたし、一番下っ端のため、ほぼ社内の雑用係でした。
ちなみに、残業時間は月100時間は余裕でいってました。
当然、前の部署での苦労は生かせず、自分で売り上げも作れないので給料も上がりづらく、ただの雑用も多かったです。
正直やりがいとかは感じることはできず、
「俺、何やってんだろ」
という毎日を過ごしていました。
何度言っても言う事を聞かない営業マン、
男しかいない、
暖房は効かない、
すぐ停電する、
トイレは流れない、
社員の殴り合いのケンカ、
物は盗られる、
監視カメラでの監視、
周りには何もない。
ただ、家に帰って数時間寝るだけの生活。
一言で表すならば「限りなく刑務所に近い場所」でした。
1年で見切りをつけました。 懲役1年。
完全に無駄な1年でした。
まとめ〜今後しばらくは無職生活を謳歌していく〜
営業時代、自分はSOSを出していました。
「助けてくれ!わからないんだ!」と。
それを詰められるというよりかは、放置されて得意先に怒られたその後、 上司から「お前何やってるんだ。バカじゃねーの」のテンプレでした。
まだ元気のいい時は「だってぇ~」と言い返していましたが、だんだんその元気はどこか遠い国に行ってしまったようです。
コロナが明けたらそれを探しにどこか遠い国に行ってみたいです。
異動してからは感情を失ってたのでよく覚えてないですが、早く家に帰りたかったです。
まあ会社に入ってわかったのは、
・自分は会社に属せるような人間ではない事
・完全な社会不適合者である事
くらいでしょうか。
まあどの部署もどの会社もこのような感じだと思いますが、 私はこのような環境にどうしても耐えられなかったですし、受け入れられなかったです。
でもとにかく3年近く踏ん張ったのは自分にしてはよくやった方なのではないかと思っています。
ここに書いた内容も私の社会人生活のほんの一部にしか過ぎませんので、もし気になる方はTwitterのアカウントの方(@musyokudesuga)も覗いてみてください(仕事に関係ないこともたくさんつぶやいてますが)。
また、ブログにも詳しく書かれていたりするので(www.damesyakaijinn1.com)、こちらも興味のある方は是非。(全然仕事とは関係ない体当たり企画などもやっております(笑))
とりあえず、しばらくは無職生活を謳歌しようと思います。
駄文でしたがお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
皆様の社会人生活のご健闘をお祈り申し上げます。
執筆者:ハチキさん
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